挫折亭画像帳

なんでアフリカの女子供が飢えてるかって、むこうは男がまずたらふく食う。
余ったら女(母)→子の順。
だから、父母子が植えずに暮らして行ける量の援助だと、
父-満腹 母-腹八分目 子-飢餓状態 になる。
子供を飢餓状態から救うには、父母が食べきれない量の食料を援助する必要がある。

けどそうすると、いまでさえタダメシもらって、
アピール程度に井戸掘って麦植えてる連中なんか絶対に働かなくなる。

だって1穴に5粒種を蒔けと言ってるのに、再度状況を見に行くと穴すら開けずにばらまいてる。
知能が無いんじゃない。たんに働くのが嫌なだけ。
あげく種もみまで食べておかわり要求。

食料系を補おうとすると種もみまで食うから、こんどは外貨獲得のためのバイオエタノールの原料になる植物を植えさせた。
その植物は現地でも生息していて、食べられないからだれも見向きもしなかったんだけどバイオエタノールの燃料になる。
ものすごい生命力だからどこでもいくらでも育つ。

しかし、彼らは「そんなの食べられない」といって嘲笑し放棄、
支援者を信じてその作物を作っている数少ない働き者の畑に入り、
「こんなもん育てても食えないよバーカ」と言って引っこ抜いてしまう。

文化として、寝たいときに寝る、先がわからない原始時代の生活を望んでいるんだから
はっきり言って、文明国の人間の感性で「かわいそう」とか言って支援しても無駄。


869 名前:公共放送名無しさん[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 08:48:24.21 ID:fUX1hFJW
上にも書いたが(東映)時代劇、もっと言えば歌舞伎の名乗りから
脈々と受け継がれてますね

今も特撮ヒーローとかプリキュアで幼少期から着々と洗脳中


885 名前:公共放送名無しさん[] 投稿日:2013/06/24(月) 08:50:39.95 ID:4G5kxRBJ
»869
やっぱ歌舞伎だよねあれの原型って
伝統芸能さすが


906 名前:公共放送名無しさん[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 08:53:28.69 ID:p63rHafx
»885
戦隊モノのルーツは名乗りを含めて歌舞伎の「白波五人男」だそうだ
image

920 名前:公共放送名無しさん[] 投稿日:2013/06/24(月) 08:56:21.43 ID:4G5kxRBJ
»906
おおおお。初めて知ったよ


929 名前:汪 ◆xrntBF3M81SM [sage] 投稿日:2013/06/24(月) 08:58:04.79 ID:nET+vCpQ
»920
「しらざあ言って聞かせやしょう」は有名な筈


933 名前:公共放送名無しさん[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 09:00:09.26 ID:fUX1hFJW
»929
東映は日本の伝統芸をアニメや特撮にまで流用して感心するんだよなw


934 名前:公共放送名無しさん[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 09:00:10.70 ID:4aV61vRO
»920
白浪五人男にヒントを得たってのはパワーレンジャーをアメに輸出するときに制作側の誰かが言ってたな
「映画や買い物は大抵ひとりですね。ひとりでいるのが好きなんです」と話したら、「ひとりでいたがるのは、他人に嫌われるのを恐れてるから。大丈夫。もっと自分に自信を持って」って言われたんだけど、こういうヤツがいるからひとりが好きなんだな、って思いました。
ちなみにポルシェ本社の技術者は、カーグラフィック誌のインタビューで
「なぜ日本人は我が社製品(ポルシェ車)を左ハンドルで乗るのか。我が社は右ハンドルを作っているのに不思議だ」
ということをはっきり述べている。
友だちのばあちゃんが、「たべっ子どうぶつ」のことを「畜生ビスケット」って言ってた話は一生忘れない。

とにかく、ちょっとしたツマラナイ事のために最も重要なことを忘れてはいけません。大挙の教授のくせに会話一つ出来ないとか、語学者でありながら発音がなってないとか云いますが、では、我が国の文化、我が国の科学を、せめて今日までの程度に向上させたのは誰の力だと思います? 外人ガイドや、横浜の人力車夫や、米兵専門のパンパンや、その他外人を相手にべラベラと軽快に話のできる人たちの力でしょうか?

 もしそうなら、もっと外人と接触する機会の多い、ジャワ人や仏領インド人や、その他植民地の原住民の方が我々よりはずっと西洋人の胸に喰い入って、我々よりもずっと西洋文化の水準に近づいていた筈です。

 そうではない、我が国の文化水準をせめて今日の程度にまで引きあげたのは、すべて是れ、本は読めるが会話となると頭を掻いて馬脚をあらわす医学者、科学者、思想家、翻訳家、文人、大挙教授、その他の片輪語学者であったのです! すなわち「文化語学」をやって来た人たちなのです!

 もちろん、書物は読めるが会話も作文も碌にできないというのは、たしかに片輪には相違ありません。けれども……書物が読めないよりは好いじゃありませんか!
 実用語学的行き方は、勿論中学あたりから盛に採用しなければなりません。けれども、それは直ぐ缶詰のレッテルが読めたり西洋人と話ができたりする事が理想であってはならない、やはり結局は文化語学、すなわち主として「書物が読める」ことが最後の理想でなければならない。書物さえ読めるなら、なんなら会話や作文はできなくてもよろしい。少くとも、全部のインテリが会話や作文ができる必要はない。しかし書物を読むことだけは全部のインテリができなくてはいけない! これが私の見地です。

 私の経験から云うと、実用語学なんてものは、真の語学すなわち文化語学の方がしっかりしていさえすれば、わけのないものだと思います。よく云う事だが、大学で何年も英語をやったというのに、缶詰のレッテルすら読めないじゃないか、と云って大学の英語が非難されます。しかし、大学では別に缶詰のレッテルの読み方を教えるわけではないから、それもやむを得ないじゃないですか!

 それに反して、実用語学のみを理想にして獲得された外国語には、それどころではない。もっともっと致命的な欠陥があります。よく見受ける現象ですが、外人を相手にどんどん話のできる人という奴の中には、もちろん本当に其の外国語をよく知って話す人もあるにはありますが、大抵の人はそうではなくて、単に日常会話の範囲の事だけがわかっているにすぎない。これが証拠に、少しこみ入った話になったり、いわんや思想の発表とか気持の上の問題とかになると、だいいち外人の方で初めっからあきらめて、てんで相手にしてくれない。そういう人が、たとえば外人同志がそうしたむつかしい話をしている席に一緒に座わらされると、まあ何てことはない、まるで落語家がオペラの役を引きうけたような恰好になる。そういう場面を私はたぴたび見受けて知っていますが、実に屈辱的な……というよりはむしろ国辱と云いたい気がします。そういう時には、何というか、或る種の義憤をおぼえます。悲憤的愛国心に鞭打たれます。戦争には何遍負けても好いが、精神的水準と文化人としての水準だけは、せめて西洋人に笑われないだけの日本人を五六萬人造らなければ駄目だと思いました。本当です。