挫折亭画像帳

7at1stroke:

打ち合わせで「主婦の友」が廃刊になると聞いた
アグレッシブな雑誌だったのに残念だ
戦時漫画を描く時に資料として俺が読んだ号では「日本人に餓えは無い!案外食わなくても大丈夫!」という逆転の発想ですげえポジティブだった!

futabatoshiaki:

http://futaba.ldblog.jp/
fileth:

Twitter / EoMoU: だいぶ前に描いた龍田。
ヴェーベルンとは表面的な付き合いで、ゆっくり話したのは、デュッセルドルフで音楽祭をやったとき、ヴィーンからデュッセルドルフへの列車の中で何時間か話しただけだ。彼は恐ろしく堅苦しい人だった。そしてとても内気で欲求不満で、この欲求不満の反動で逆にかなり高慢であった。私は彼を音楽家としての孤立ゆえに高く評価している。私のライブラリーにある彼の作品のスコアはほとんど彼から個人的に買ったものだ。なぜならどの出版社も彼の作品を出版せず、自分で出版していたからだ。
ベルクとは個人的友情があった。手紙のやりとりもあったし、ベルクは私の演奏を聴きに来ていた。デュッセルドルフで「ヴォツェック」を振ったときは、ベルクも夫人と来て、2週間一緒にいた。彼は全てのリハーサルと初日に立ち会った。・・・・彼はシェーンベルクと違い世界人であった。さほど旅行はしなかったが、フランス音楽をよく知っており、ドビュッシーやラヴェルを絶賛していた。また彼は私に、ディーリアスの「人生のミサ」に強い感銘を受けたことを話した。スクリャービンの考え、音楽に非常に感銘を受けていた。ブゾーニを高く評価していた。シベリウスやニールセンについて彼と話したことはないが、1927年に(フランクフルトでシベリウスやニールセンを聞いて)ベルクが彼らに非凡なものを見いだしていたとしても驚かない。
シェーンベルクは非常に独裁者だった。親しかった(シェーンベルクの弟子の)ハンス・アイスラーに「シェーンベルクから何を学んだか」と訊ねたら「タバコの火の付け方からはじまって何もかも」と答えた。私はそこまで支配されるのは嫌だったから弟子にはならなかった。しかし私はシェーンベルクは尊敬していて、公開演奏があるときはいつも行っていたし、彼の設立した私的演奏協会の会員でもあった。この私的演奏協会の演奏会では会員証を厳しくチェックするのだが、その門衛はヴェーベルンとベルクがやっていた。
ライナーには、ホーレンシュタインのかなり詳しい履歴が載っていますが、その中に戦前彼を追放したドイツへ公演のために戻った折りの文章があります。1958年彼が公演のためにドイツへ戻り、はじめにSchonbergの浄夜とBrahmsの第1番を指揮し、大喝采を受けました。しかし彼は友人に次のように書いています。

私は、豪奢なホテルに滞在してゲストとして1週間、1か月、あるいはそれ以上でもあくまでゲストとして働く以外はドイツに住むということはあり得ない。オーケストラが自分自身の仕事をする実験室で、終わったらホテルの安全の中へ戻るような、隠遁所に閉じこめられた修道僧のような生活であるとしても。
H-Brahms
「同志フルシチョフ、今月のノルマにあと1万枚たりません」
「しかたない、又、リヒテルに弾かせるか」
「同志、今月はリヒテルで既に3万枚達成しております。」
「では、シベリア民族楽団はどうだ」
「同志、今月それをやると、来月のノルマ達成が困難であります。」
「では、しょうがない、この反体制ロックバンド「スターリンの狗」にするか」
「同志、それでしたら達成可能です」

pointetothesky:

Alphonse Mucha

"Alfons Maria Mucha (Ivančice, 24 July 1860 – Prague, 14 July 1939), often known in English and French as Alphonse Mucha, was a Czech Art Nouveau painter and decorative artist, known best for his distinct style. He produced many paintings, illustrations, advertisements, postcards, and designs."

gashetka:

1959 | Chevrolet Corvette Stingray Racer Concept | Source